樽職人の斉藤さんが青春時代を過ごした海軍省指定工場、墨田川造船所。
斉藤さんはこの工場で、後に洋樽を作るための貴重な経験となる『板に曲面を作る作業』に携わっていました。
この板に曲面を作る作業というのは、もちろん造船作業のこと。
主に内火艇やランチ、カッターなどを造るこの工場で、斉藤さんが携わっていたのは、『粗末なベニヤ板製のモーターボート』の製造でした。
このモーターボートは当初から量産が考慮されていたため、ボートとしての設計は非常に容易なものだったそうです。
しかしこの簡易なモーターボートには、その小型船体にはまるで似合わない重装備が搭載されていました。
20~30ノットもの速度を可能にする、トヨタ製のエンジンを2機。
そして250kgもの爆薬。
本土決戦に備えて各地に配備されたこのモーターボートの目的は、敵船に向けて突進・自爆することでした。
特攻部隊といえば、多くの人は神風特攻隊を思い浮かべるのではないでしょうか。
往路分だけの燃料を積み飛び立ち、強い決意と信念を持って敵艦に向かって特攻する姿はあまりにも有名です。
しかし、神風特攻隊以外にも、日本には特攻部隊が存在していたことはあまり知られていません。
人間魚雷『回天』、陸軍特攻艇『マルレ』、人間爆弾『桜花』、人間機雷『伏龍』そして海軍特攻艇『震洋』。
どれも戦局の挽回を図る『特殊奇襲兵器』と呼ばれる特攻兵器。
そして斉藤さんはこの中の震洋を実際に造っていたのです。
震洋特別攻撃隊の戦没者は1322名を数えるといいます。
しかしながら実戦では部隊ごと全滅してしまうため、その戦果や功績は不明な点が多く、ほとんど記録には残っていません。
そして記録に残らない故、この事実が歴史として語られることはほとんどないのです。
空襲で亡くなることも、銃弾に撃たれて亡くなることも含めて、特攻を決意する際の内面的な人間の苦しみの果てしない酷さを私達は想像する必要があるように思います。
もちろんそれは微力な想像でしかなく、経験としての苦悩は今の日本では得ることはできません。
それは言うまでもなく幸福なことなのですが、その幸福は過去の傷跡を容易く消し去ってしまうこともまた事実です。
子どもや孫の時代の幸福を願い、先代たちが命を削って作り上げたこの世界で、人々はその幸福の温かさに包まれて全てを忘れてしまい傲慢になっていきます。
歴史上数え切れないほど繰り返されてきたこの図式は、現代に至ってもなお継続されているように見えます。
歴史の闇に埋もれた真実を見出す中で、その本質に少しでも触れることができれば。
自らの死の先にある未来を信じて散っていった人々の存在から、何かを学び取ることができれば。
そのことは少なからず彼らへの弔いになるように思えるのです。
そして、その時はじめて私達も、100年200年先の世代のことを考えた生き方ができるようになる。
実体験としての戦争の記憶を持つ斉藤さんに震洋のお話を聞いた時、そのように思えました。