
元チームスバル世界ラリー・ドライバーとして、多くの国際レースで輝かしい成績を収めた高岡さん。イタリアのフィレンツェで出会った電気自動車に、自身のクルマ造りへの情熱を注ぎます。
環境問題を語る際に、時には敵のように扱われてしまう自動車産業で、ECO、環境保全を目標に動いている方々がいます。
CO2を排出する自動車の利用を控えるという考え方ではなく、自動車の便利さに慣れてしまった私たちが利用回数をそのままで、環境保全ができるという考え方。
そう、エコカーの普及です。
現在、市販されているエコカーは、まだまだガソリンが欠かせません。
近い未来、CO2の排出ゼロを目指す夢の車を動かすのは、何の力だと思いますか?
水素?
太陽光?
植物?
現在、研究が進んでいる中で、夢を現実にしてしまいそうな技術の一つである
電気自動車。
今回は、その電気自動車の企画から開発に当たられている夢我人のお話です。
乗り物にまつわる数々の驚くべきエピソードを持つのが、今回の夢我人、高岡祥朗さんです。
小学校6年生の時、川崎から伊東までという長距離を無断借用した父親のオート三輪で走破してしまったということでも驚くばかりですが、その当時は、小田原を越えると道はデコボコで大人でも運転が難しかったという事実に、さらに驚かされます。
もちろんお父様に、帰宅後きつく叱られたそうです。
常識を教えるという大人の立場では叱るほかありませんが、そのチャレンジ精神と体力に心の中でこっそり賛辞を送ってしまいそうです。
ただの乗り物好きという言葉では済まされない子供であった高岡さんは、中学生の頃には、江ノ島の東浜で特殊なアルバイトしていた経験もあります。
貸しヨットの雇われ船頭!
船頭として、湘南の風を受けて自由にヨットを操っていたという中学生。
とてもかっこいい!やはり、只者とは思えません。
そんな高岡さんも大人になり、富士重工業株式会社に入社という会社員の道を選びます。
会社員とは言いながらも、いつしかトライアンフTR4のレーサーとして、モータースポーツの世界に飛び込みます。
1960年代より、グループ1でレーサーとしての経験を積んでいく一方で、82年頃には車の企画、RX、ホモロゲーション、国際ラリーに出場するための規則の整備にあたるなど、ラリー以外でも車にかかわっていきます。
そんな様々な経験を積み、豊富な自動車知識を持つ高岡さんの企画力・発想力を会社が見逃すわけがありません。
高岡さんには、会社員としての本来の業務が増えていきます。
それでも自分が作った車で世に名を刻みたいという思いは消えることはなく、当時の日本人としては最高記録となる5位入賞を果たします。
その後、作家の立松和平氏と共に出場したラリーを現役レーサーからの引退の場とし、レーシングチームの監督への就任することになります。
監督に就任した高岡さんの次なる挑戦は、レースのみでは終わりません。
それは、車づくり。
今や、知らない人はいないほど有名な車であるレガシィの企画です。
車のストーリー性、水平対向エンジン、スピード記録など、挑戦は続いていきますが、高岡さんの車づくりに対する気持ちは、変わることはありません。
『車に心を入れたい』
鉄の塊に過ぎない車に心?
疑問を持たれる方も、いらっしゃると思います。
どういうことなのでしょうか?
高岡さんの考える車づくりにおいて、作り手の『心』は非常に重要です。
『心』を入れる車づくりには、『車』そのもののストーリー性と歴史が必要不可欠。
日本の車は確かに優等生だが、10年過ぎて、傷が付いたり、塗装がはげたりしても愛着を持って乗ることができるかと考えると少し疑問は残る。
機械の塊を捨てることに、今を生きる私たちはあまり抵抗を感じなくなっているのかもしれません。
けれど、その中に『心』を感じるものは、捨てることに慣れすぎた私たちも、捨てることを躊躇ってしまいます。
『車』に心を入れるという作業は、捨てられない車を作りたいという高岡さんの願いでもあるのです。
そんな『心』の入った車を作ることを願う高岡さんのターニングポイントは、イタリアのフィレンツェでやってきました。
某社の依頼で『セミオートマチックシステム』という機構のシステム開発研究のために訪れたはずだったフィレンツェで、全く新しい乗り物に出会ったのです。
それが、後に、高岡さんが持っているもの全て注ぐことになる電気自動車です。
街自体が遺産となっているフィレンツェでは、ガソリンを燃料とする従来の自動車は日中のあいだは中心街へ入ることが出来ません。
フィレンツェの中心街では、当然のように電気自動車がレンタルされており、至る所で目にすることができます。
ただの乗り物好きではない高岡さんがこれを見逃すわけはありません。
早速、試乗です。
実際にレンタルして乗ってみると、なかなか具合がいい。
さっそくミラノのスタートラブ社を訪れて、一台購入することを決めました。
この決断の早さからも、その衝撃の大きさが伝わってくるようです。
帰国後、高岡さんは、日本でも電気自動車を広めるために、オートイーヴィジャパン社を設立します。
これが、夢の国産電気自動車誕生の第一歩となったのです。
しかし、その壮大な夢を簡単に叶えられるほど、実現までの道のりは易しくはありませんでした。
むしろ険しいという言葉がしっくりきそうです。
なんと、会社設立後5年間は何も売らず、企画・開発のみとなってしまったのです。
国土交通省の認可、ホモロゲーションを得るために、最新の技術を搭載した何十台もの車を潰すことを繰り返していきます。
自らの財産を注ぎ込み、電気自動車の認可を得るために尽力することになってしまった高岡さん。
もちろん、大赤字です。
けれど、壮大な夢の一歩のためには、国土交通省からの認可を得るのが大前提。その認可を得るために解決しなければならない点が山ほどあったのです。
バッテリー(開発に1年半)、リチウム、BMS、チャージャーなどなど…。
まだまだ電気自動車に馴染みのない日本で、二人乗り以上の電気自動車が公道を走るためには、想像を遥かに超える障害がありました。
諸外国では市民権を得ている電気自動車であっても、新技術についての法改正が容易ではない日本では、当然、その未知なる乗り物である電気自動車の規則の遅れが際立っていたのです。
そういった背景からも、日本で電気自動車の認可を得るには、大手メーカーでも難しいだろうと言われていました。
それだけでなく、実質的な問題も星の数ほど出現します。
そして、その一つ一つが難題なのです。
高岡さんは、電気自動車について、こう説明します。
電気自動車を作るというとき、日本の人々はエンジンだけを乗せ変えれば良いと思っているけど、全くそんな事はない。
軽量化はもちろん、エアコンの大きさから各機能のバッテリーの消費量まであらゆることを考慮して新しく創りあげていかなければならない。
電気自動車とガソリン自動車は、同じ移動手段ではあるけれど、
ほとんど別のモノだよ。
そんな新しい乗り物を、とうとう、小さなベンチャー企業が認可を得ることに成功しました。
日本初、二人乗り以上の公道を走ることができる電気自動車が生まれた瞬間です。
オートイーヴィジャパン社ジラソーレ。その歴史は始まったばかりです。
それは1人では決して成し遂げることのできないことでした。
周りには、いつも、電気自動車に興味を持ち、高岡さんの夢を叶えたいという人々の協力がありました。
今では20名を越える株主による資金面での協力、技術者たちの知識と知恵と腕、高岡さんの夢は、いつしか多くの人たちの夢にもなっていたのです。
最初に日本に電気自動車を広めようと話したとき、誰も本気にはしてくれなかった。
だけど環境によい電気自動車、フィレンツェで見た電気自動車の姿が、日本にも必要だと確信を持っていた。
その高岡さんの確信は、世の中の常識、多くの人たちの確信に変わるのに、そう多くの時間を必要とはしませんでした。
世の中が高岡さんの考えについてきたのです。
そんな先見の明を持っていようとも、どんなに多くの人を巻き込む大きな夢を持とうとも、高岡さんの車づくりに対する気持ちは、本物を作りたいという職人そのものです。

車造りをずっとやってきた。
捨てられない車を作りたいという願い。
街中でナンバープレートをつけた自分の生み出した車を見た時の喜び。
それだけで車づくりに情熱を傾けるには十分。
奇想天外が良いというわけではない。
いつの世も、本当に質の良いモノを作ることは難しいこと。
しかし、常に人よりも半歩先を歩いていたいと思う。
一歩先では進みすぎかもしれない。
そういう考えを持っていないと、パイオニアにはなれないのではないかとも思う。
そして、30年先くらいまでのヴィジョンを持つように心がける。
さらにその意志を受継いでくれる者を育てる。
そうしていくことが新しいモノを世の中にしっかりと根付かせるために必要だ。
そんな発想をもつためには遊ばなきゃダメ。
マンジャーレ(食べる)、カンターレ(歌う)、ソーレ(太陽)、アモーレ(愛する)
そんなイタリア人の明るい感性を持っていた方が良い。
そんな風にしてモノづくりをしていけば、必ずそのモノにニュース性が生まれる。
そうすると宣伝費を使わなくても、人の興味は集まるし、需要も生まれる。
それこそが高岡さんのモノづくりの本質であり、高岡さんそのものなのです。
そんな高岡さんにこっそり今後の夢を教えてもらうと、
目を輝かせてこう話してくれました。
85年にレーサーを引退して、香港でヨットを買った。
とても気に入って、素晴らしく素敵な時間を過ごすことができたのだけど、今の会社の資本金とするために、手放してしまった。
できるならば、もう一度ヨットを手に入れて世界の海をめぐりたい。
その時にはもちろんジラソーレをヨットに乗っけてね。
世界中の港でジラソーレを下ろして、ジラソーレで街中を走れたら最高だよね。
高岡さんの目には、確かに、日本製の電気自動車が世界を走り回る姿が見えているのかもしれません。
次の夢我人は誰でしょう?