洋樽職人~お酒のゆりかご~ | 夢我人No. 斉藤 光雄さんさん

蒸留したてのモルト・ウィスキーを赤ん坊に例えるならば、樽とはその赤ん坊を優しく育てるゆりかごのようなものです。国内洋樽製作のパイオニアであり、80歳を越えながらも現役の樽職人であり続ける夢我人が埼玉県羽生市にいます。

私が洋樽をはじめて作った時には、先生がいないどころか教科書すらなかった。だから何度も試行錯誤を繰り返して、大変な思いをして洋樽を作り上げた。そうやって自分で凝らした工夫によって、上手く洋樽を作ることができた時は本当に嬉しかったもんだ。

初回に夢我人として紹介したベンチャーウィスキー社の肥土伊知郎さんが作っているIchiro's Malt。世界的に高い評価を受けるこのウィスキーの最大の特徴は『スパイシーさ』と言われますが、その味わいを出すためには『樽(カスク)』の存在が不可欠です。

蒸留したてのモルト・ウィスキーを赤ん坊に例えるならば、樽とはその赤ん坊を優しく育てるゆりかごのようなものです。10年15年と長い時間をかけてウィスキーの眠りを守る中で、樽の様々な要素は熟成後のウィスキーに大きな影響を与えます。それぞれ異なる樽の個性は、色味や香りに強く結びついているのです。

そしてベンチャーウィスキー社のウィスキーが世界に認められた舞台裏にも、決して見過ごすことのできない職人技が光っています。

日本における洋樽製作のパイオニア

 

マルエス洋樽の斉藤光雄さん

強いこだわりを持つ肥土さんの複雑な要求に完全に応えることのできる無二の人物であり、80歳を過ぎた今もなお現役を続ける樽職人、斉藤光雄さん。悠々の利根川の流れを抱く、埼玉県の羽生市で全国的にも珍しい『洋樽の製作所』を運営しています。

マルエス洋樽製作所は、斉藤さんの父親により大正時代の後半に東京都墨田区で設立されました。元々は新樽を製作するのではなく、海外から古い樽を輸入して販売することを主事業とする会社でした。

会社として新樽の製作を開始したのは戦後、昭和30年代のこと。高度経済成長期であるこの時期に、日本の酒造メーカーはより多くの原酒を作るために、国内に次々とウィスキーの蒸留所を設立しました。その中で各メーカーは、自社独自の個性を生み出すために旧来の古樽ではなく新樽を求めはじめたのです。

しかし彼らが新樽を欲しても、その動向に反して当時の国内には洋樽の製造会社というものが存在していませんでした。そのため新樽の製作はしていなくとも、洋樽に強い関連をもつ斉藤さんの会社に各酒造メーカーは期待をかけるようになったのです。

マルエス洋樽製作所に並ぶカスク達

ただ、ひとくちに『新樽を作る』と言っても決して容易なことではありません。洋樽は長ければ数十年もお酒を熟成させる保存器なのです。その気の遠くなるような時間の流れに耐えうる強度、ひいては完成度が必要となります。

また、優れた洋樽を作るためには『如何に滑らかな曲線を板に与えるか』が重要なポイントになってきます。そしてその滑らかな曲線を生み出すためには高度な加工技術と深い知識が求められるのです。

当時は国内で洋樽を作っていた職人はまだいない時代でした。先代である父親も、新樽の製作は未経験です。もちろん洋樽を作るための道具も教科書もありません。
 
全てがゼロからのスタートでした。

墨田川造船所での日々

斉藤光雄さんは昭和2年(1927)に東京都で生まれました。幼い頃から父親の洋樽輸入と加工・修理の仕事を手伝っていましたが、幼心に飛行機への強い憧れを持っていた斉藤さんは、成長とともに空軍の整備兵になりたいと願うようになり、洋樽とは無関係の機械科への進学を選択しました。

学校卒業後は徴用(国家が国民に対し徴兵の代わりとして使役や労働を課す制度)に先立って、自ら海軍省指定工場に赴き働き始めました。

斉藤さんが働いていたのは同じく東京都の墨田川造船所。主に軍艦に搭載する内火艇やカッターなどの木造船を製造する工場でした。

この墨田川造船所では200~300人もの人々が働いており、当時16歳だった斉藤さんはこの場所で多くの友人たちと共に2年半という歳月を過ごしました。そして造船という作業に携わる中で、自らが望むでもなくいつの間にか木造加工の技術を身に付けていったのです。

その中でも船底の曲面を生み出す技術は、やがて斉藤さんが洋樽の曲面を生み出すために試行錯誤を繰り返す際に自分自身を助ける大きな経験となりました。

戦争による焼失と回復

斉藤さんが18歳になった昭和20年、日本の無条件降伏により太平洋戦争が終結しました。徴兵される直前に戦争が終わったため、斉藤さんが召集されることはありませんでしたが、戦争の爪痕は深く残りました。特に、慣れ親しんだはずの隅田川が空襲で命を落とした人々で埋め尽くされていた時の光景は、斉藤さんの心を焦燥感で蝕んだといいます。また、気力を取り戻して復興を始めようにも、3月の東京大空襲でマルエス洋樽製作所は焼失し、会社は全てを失っていたのです。

それでもマルエス洋樽株式会社は、決して項垂れることなく古樽の輸入を再開しました。その頃からは斉藤さんも本格的に洋樽の仕事に携わり、様々な業務の中心として活躍するようになりました。やがて日本経済が立ち直るにつれて、洋樽の需要も以前のように増えて、少しずつ会社は回復していきました。

そして戦争が終わってから10年ほどが過ぎた昭和30年代。
日本に初めてのウィスキーブームが到来します。

新樽作成への取り組みとその困難

ウィスキーの需要が高まると共に、国内の酒造メーカーは斉藤さんに新樽の製作を依頼するようになりました。洋樽を製作する技術がない日本において、斉藤さんは洋樽を取り扱う稀少な存在であり、加工・修理をすることで少なからず心得を持っていたためです。

洋樽製作の道具達

しかし、一から新樽を作るとなると話は全く別です。
洋樽製作をする上で最も重要なポイントとなる曲線を作るための機械も、道具すらも日本にはまだありませんでした。

そこで斉藤さんは、旧来の道具を作り直したり工夫したりする作業から取り掛かりました。ハンマーやカンナ、ノミといった一般的な道具を、自分の感覚を頼りに洋樽用の道具へと作り変えたのです。また、機械科を卒業した斉藤さんはその知識を用いて、市場に流通し始めたばかりの電動工具をいち早く取り入れました。

 

作業に打ち込む斉藤さん

数え切れないほど何度も失敗し、試行錯誤を繰り返しました。
全てが手作業なため、ひとつひとつの失敗の重みは表現するのも難しいほど大変なものでしたが、斉藤さんが成功への望みを捨てることは決してありませんでした。

ひたすらな努力を継続した結果、とうとう技術的な問題は解決することができました。しかし、作り方のノウハウを身につけた後、今度は洋樽に適した材木を探すという難題が生じました。

洋樽の製作自体が為されていなかった当時、洋樽用材木であるナラ材(オーク)はほとんど市場に流通していなかったのです。

斉藤さんは材木を得るために、深川・木場にある材木問屋を毎日のように訪れました。雑然と積まれた気が遠くなるほど大量にある材木の中で、洋樽に適したナラ材を見つけ出すのは大変な困難でした。また、ようやくナラ材を発見したとしても、ナラ材であれば何でも良いかというとそうではありません。

同じナラ材であっても、そこはやはり自然のもの。軽い・重い、柔らかい・堅い、粘りのある・ないなど、一枚一枚その性格が異なります。その中で可能な限り類似した性質の材木を揃えて洋樽を作る必要があるのです。さらには長年の熟成の中でも水分が漏れ出さないであろう、節目がなく木目の整ったものを選別しなければなりません。

マルエス洋樽に詰まれる材木

その選別は非常に困難を極め、60年以上培ってきた経験をもってしてなお、完璧ではないと斉藤さんは言います。それでも斉藤さんは全ての作業において決して手を抜くことはしませんでした。

ウィスキーは、時間という要素が加わってはじめて完成するお酒です。もし自分の仕事である樽が不完全なものであれば、熟成途中でウィスキーは漏れ出し、それまで費やした時間も、作り手の思いまでも台無しになってしまいます。確かに熟成を終えたウィスキーは、生産者の産物です。しかしその生産者の強い思いが込められた大切な原酒だからこそ、微塵の妥協も許さない仕事を自分に課すのです。

羽生の地で

やがて斉藤さんの努力は実を結び、新樽製作の仕事は軌道に乗りました。そして墨田区の工場が手狭になるほど規模が大きくなってきた昭和42年、斉藤さんは埼玉県の羽生市への移転を決めました。

マルエス洋樽製作所内

もともと奥さんが羽生市の出身だったこともあり、義父や知人たちが好意的に手伝ってくれました。義父はその様々な人脈を用いて、洋樽製造に適した場所を探し出してくれました。

設備も人材も揃い、かつての工場を遥かに上回る規模の工場を羽生に持つことで、斉藤さんはよりさらに樽造りという仕事に全霊を捧げて取り組みはじめました。常により良い樽を作るために、努力と工夫を継続することを怠らず。自分が作った樽の中で眠り続けた酒が、見知らぬ誰かの口を楽しませる瞬間を楽しみにしながら。

 

樽にビスを打ち込む斉藤さん

その深い経験と知識を持ち、70年以上もの長きに渡り洋樽に携わり、今もなお現役の職人であり続ける斉藤光雄さん。彼が自らを捧げて創り上げてきた洋樽は、日本のどこかでウィスキーに安らかな眠りを与え続けているのです。

 

斉藤さん(左)と跡継ぎの娘婿さん(右)

【斉藤さん(左)と跡継ぎの娘婿さん(右)】

 

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