父島『塩工房』 | 夢我人No. 大木 洋さんさん

東京から南へ遥か1000kmの南洋にある小笠原諸島の『クジラとイルカの住む青い海』の海水から精製される『塩工房』の塩をご存知でしょうか?口に含んだ瞬間、まず塩の味と香りがふわりと広がります。

『クジラとイルカの住む青い海』の海水から精製される塩。

塩の写真

東京から南へ遥か1000kmの南洋にある小笠原諸島。
『クジラとイルカの住む青い海』の海水から精製される『塩工房』の塩。口に含んだ瞬間、まず塩の味と香りがふわりと広がります。

しかしそれはほんの一瞬のこと。塩は舌の上であっという間に溶けてなくなり、それを追うように素材の味が一気に飛び込んできます。そしてその素材の味を、薄い絹のように軽く優しく塩の風味が包み込みんでいきます。

現在、小笠原は父島で塩工房を営む大木洋さん。
高校卒業後、本土でサーフボード製造の仕事に携わっていましたが、父親が事故で急逝した後に、父島へ戻りました。

人それぞれ考え方の違いはありますが、大木さんは自分のやりたい事よりも、父親の仕事を継ぐことに重きを置きました。

小笠原の海水で作る塩へ強いこだわりと誇りを持っていた父親。大木さんはそんな父の作る塩の美味しさを誰よりも知っていました。また、父が作っていた塩をいつも買っていた本土のお客様の落胆の声の多さに改めて父の仕事の偉大さを実感し、塩作りの仕事を引き継ぐことを決心したのです。

幼い頃から、しばしば塩作りの手伝いをすることはあったので、漠然と塩を作るための過程は理解していました。父が使っていた塩釜などの工房器具もそのまま利用することができました。原料と環境は整っています。しかし大切な製造方法に多少の不安がありました。

塩作りの継承と試行錯誤の日々

小笠原の塩 大木さん

それからは最高の塩を再現するための試行錯誤の毎日。全国の塩を取り寄せて、それぞれの味や技法の研究も重ねました。数え切れないほど何度も海水を運び、調整と味見を繰り返しました。さらにその合間で、経理や事務などの経営の勉強もしなければなりませんでした。文字通り、寝る間を惜しんでの作業が続きました。

決して妥協せず、断固としたこだわりを持ち、一粒の塩の結晶に全てを費やす。自然本来の魅力を決して壊すことなく、職人の巧でそれを引き立てる。研究の過程で、独特の技術と工夫が少しずつ増えていきました。

そして半年後。
驚くほど早い日数で、大木さんは工房再開の目処を立てることに成功しました。

独特の製法により生み出される、優しい甘みと上品な食感・舌触り。完成した大木さんの塩は、銀座の天麩羅店や京都の老舗料亭をはじめとした高級店舗にも選ばれるほどになりました。それに伴い大木さんの作る塩の評判が広がり、以前のお客さんも戻り始めました。

もしかしたら塩作りは自分の天職ではないかも知れない。そんな風に思うこともありましたが、塩の担い手の一人としてのプライドを捨てずに走り続けてきた結果が少しずつ出始めたことで、大きな充実感を感じることが出来たといいます。

台風の直撃と塩工房の全壊

小笠原の塩 大木さん

しかし…。
その矢先の2006年9月、20年に一度という大規模の台風が父島を直撃しました。父島に直撃した台風は各地に深い爪痕を残していきました。農地は強風と塩害で壊滅し、至る所で大木が薙ぎ倒されました。大木さんの塩工房も例外ではなく、工房全壊という大損害を被りました。強風で工房の屋根が吹き飛ばされ、父親の代から使い続けてきた塩釜はもちろん、塩作りに欠かせない機器や道具は二度と使うことが出来なくなりました。

機器や道具が変わってしまっては、あれ程の努力をして手に入れた絶妙な加減が失われてしまう。それは不眠不休で努力した日々が灰燼に帰すことを意味していました。それでも大木さんは決して悲観せず、工房の再建に取り掛かります。

そして工房の崩壊を機に、3つあった塩釜を2つに減らしました。
もちろん生産効率は著しく低下します。しかしそれまでは見落とすこともあった細かい部分まで、手間暇をかけることができるようになりました。工房全壊という被害すらも、より良いモノを生み出すために前向きに捉える。後ろ向きにならないのは、目指すものが高いため。立ち止まることをしないのは、自分が走りつづけていると気づいていないため。

料理に合う塩。
素材の味を引き出し、引き立てる最高のスパイス。

すでに良いモノをより良いモノにするため。毎日休むことなく研鑽を続けています。
いつでも笑顔で前を向いて。
ひたすらに、ひた向きに。

おまけ

大木さんご夫妻

大木さんと奥さん。
共に本土から父島へ移住してきました。

近所に住みながら、生活のすれ違いからお互いの顔も良く知らなかったそうです。ゆっくりと話をする機会もないまま、大木さんは仕事のために本土へ渡ってしまいます。

互いの存在は知りながら、全く意識することもなかった年上のお姉さんと年下の男の子。ふたりが初めて(?)出逢ったのは、父島を遠く離れたバリ島でした。サーフィンのために別々にバリ島を訪れていたお2人は、大木さんの弟さんを通じて知己となりました。お互いに惹かれるモノを感じながらも、大木さんはその後すぐに世界を見て歩くため旅立ってしまいます。

結局、大木さんが塩作りのために父島へ戻ってきてから2人はお付き合いをはじめるのですが、それまで寄り道を続けてきた反動でしょうか。2ヵ月後にはご結婚していました。

すれ違い、偶然の出逢い、そして再びすれ違い、結婚。
まるでドラマのような展開と結末ですが、本当のお話。
取材中も仲良しこよしのお2人。
お茶ともどもご馳走様でした。

関係のある人達

同じ小笠原諸島・父島で、戦争により喪われた『家族の農園』と『幼き日の幸せな記憶』を取り戻すべく、土を耕し続けた意志の人。

その他情報