
近年、世界的なシングルモルトブームを迎えて従来の消費国だけでなくBRICsにおいてもその消費量が著しく上昇しています。そんなシングルモルトの存在が認識されていなかった時代に逸早くその魅力を見出し、人生を賭して探求した夢我人がいます。
ウィスキーとは…そうですね、私の知的好奇心を満たしてくれる存在。
人生を共に歩んできた友人のような存在。
30代半ばで出会ったウィスキーという存在が、私の人生を作り上げてくれた。
そう考えています。
スコッチ文化研究所の代表にして、ハイランド・ディスティラーズ社から『世界のウィスキー・ライター5人』の一人に選ばれたウィスキー評論家、土屋守さん。評論家としてだけでなく、作家、ジャーナリスト、エッセイスト、写真家など様々なフィールドに渡り活躍している夢我人です。
2008年には日本でも大人気のスコッチウィスキーである『ハイランド パーク』から自身の名義を用いた土屋守コレクションのシングルカスクが販売されるなど、ウィスキーの世界において最も有名な日本人とも言われています。
スコッチだけだなく、自身が興味をもつものに対しては際限なく注がれるその飽くなき探究心。その根源はスコットランドから遠く離れたインド・カシミール地方の秘境にありました。
土屋さんは学習院大学卒業後、27歳までチベットを中心にフィールドワークを行い、フリーライター・フォトジャーナリストとして活動していました。
当時、日本で唯一チベット語の教鞭を執っていた東京外語大学の北村甫氏と星実千代氏。
両氏にチベット口語の教えを受けていた土屋さんは、チベットを舞台としたフォト・ドキュメントを出版社や新聞社などに発表するだけでなく、ライターとして数多くの研究活動に携わりました。
さらに「チベット語口語テキスト」「ラダック語会話テキスト」をはじめとした著書も出版するなど、チベット文化についての非凡な博識を十分に発揮した深い調査を行っていました。
そんなチベットでの調査に土屋さんが一区切りをつけたのは、チベットに渡ってから6年という歳月が過ぎてからのことでした。
久々に日本に戻った土屋さんは、新潮社の『フォーカス』の記者として活躍するようになります。
ほどなくして土屋さんが配属されたのは特集班。
政治事件を中心としてさまざまな事件を担当するこの部署で、土屋さんは昼夜を問わずに日本各地を飛び回る生活を送ることになりました。
当時の『フォーカス』は平均で160万部、多いときには200万部を越える出版数を誇っており、その記者である土屋さんは当然多忙を極めたのです。
そんな多忙の中で、土屋さんは編集者・記者としてのノウハウを身に付け、ジャーナリストとして活躍をはじめました。
やがて会社も土屋さんへ大きな期待を寄せるようになり、まさにジャーナリストとして成熟を迎えていきます。
しかし、数多くの大事件を担当する中で、切った張ったの張り詰めた世界での生活に息苦しさを感じる自分に気づき始めました。
それから一年以上をかけて会社を説得した土屋さんは新潮社を退職、33歳にして渡英を決意しました。
イギリスを選んだ理由のひとつは、記者として取材をする中で英語力の必要性を痛感していたことでした。
当時は海外での事件が非常に多くなっており、ジャーナリストとして英語取材ができることは不可欠だったのです。
チベット・インドにおいてフィールドワークをしていた際にも、現地語と同じくらい英語という言語の必要性を土屋さんは常に感じていました。
また英語以外にもイギリスに期待することがありました。
ジャーナリズムの先駆国であるイギリスに行けば、ジャーナリストとしての自分に新しい何かが見えるかもしれないという可能性を感じていたのです。
さらに、高校で山岳部、大学では探検部に所属するほどに強かった好奇心は、大英博物館とネス湖という『ロマン』にとても惹かれていました。
新潮社を退職した土屋さんは、語学学校の入学金と授業料の支払書をイミグレーションに提示して、ロンドンの語学学校に入学しました。