ウィスキー知者 ~There is a will, there is a way~ | 夢我人No. 土屋 守さんさん

近年、世界的なシングルモルトブームを迎えて従来の消費国だけでなくBRICsにおいてもその消費量が著しく上昇しています。そんなシングルモルトの存在が認識されていなかった時代に逸早くその魅力を見出し、人生を賭して探求した夢我人がいます。

47年ぶりの解禁区、ラダックへ

ニューデリーから一昼夜かけてジャムへ、そこからバスを乗り継いでカシミール州の州都スリナガルまで丸一日。土屋さんが目指すラダックへは、そこからさらにバスで丸二日乗らなければなりません。

唯一の移動手段であるバスはあまりにも古く錆びれており、土屋さんはそのボロボロさに愕然としながらも、半世紀ぶりの解域区への憧憬に心を躍らせていました。

目的地であるラダック地方の中心地レーまでは、距離にして約430キロメートル。
バスはボロボロ、道路はデコボコ。何日間もバスの中で過ごすひたすらな移動。
ラダックへ向かう途中の難所であるゾジラ峠(標高3900m)の付近では半分高山病になりかかるほどでした。

富士山頂よりも標高の高いゾジラ峠ですが、そこには果てしない大草原が広がっています。
しかも峠と言いながら、下り道になることは一切ありません。
峠はいつまでも上り道で、ただひたすらに標高は高くなっていく一方でした。

やがて途中まで続いていたアルプスを思わせる明媚な風景は、大砂漠やカラコルム連山へと変わっていきます。
その夢のように不思議な車窓の変化と、高山病でぼんやりとする思考をもたらして後、バスはようやくラダック地方の中心地レーへ到着しました。

ラダックはインド共和国に属する地区ですが、チベット文化圏にも含まれており、『インドの中のチベット』や『チベットよりもチベットらしい小チベット』とも称される秘境です。
解禁後まもなくその秘境を訪れた土屋さんは、3週間をレーで過ごしました。

それまでは僅かに文献にその名を残し、一部の研究家だけに知られていたラダック・ザンスカール。
20世紀初頭、インド・パキスタン・中国の3国間で国境問題が発生して、ラダックとザンスカールは外国人立入禁止地域となりました。
その紛争の中で、ラダックはその領土の2/3を失うなど激動の歴史に飲み込まれることになりますが、インド連邦への保守的な姿勢を持ち続けた結果、ラダック・ザンスカールは8世紀から続く文化的・宗教的な遺産を失わずにすんでいました。
また、チベット仏教の中心地のひとつとして有名なラダックは、本場チベットを凌ぐほどの曼荼羅美術を保持していました。

土屋さんはその区域の文化や慣習を知るにつれて、本格的な遠征隊を組んで調査に取り組む必要性を強く感じました。

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